コロちゃんとドライブインシアター
- 2018.07.05
- KCRの車たち, スタッフ気まぐれ日記
何年かぶりでコロちゃん(工場長の愛車の一台、マーキュリーコロニーパーク)と対面したKSK。
カリフォルニアの懐かしさもさることながら、このステーションワゴンを眺めていてふともっと昔のことを思い出してしまった。
それは今からウン十年前、ジョンレノンがニューヨークの自宅マンション前で凶弾に倒れた翌年。
親しい友人からは、危険だからアメリカなんかに行くんじゃない、と言われながらKSKは渡米。
とりあえず中西部のWisconsin州にある田舎町に住むことになった。
最初はアメリカ人家庭でのホームステイ。
そこは、ごくごく一般的なアメリカの中流家庭だった。
「ビーバーちゃん」、「奥様は魔女」、「FBI」などのドラマを想像していただくとイメージがわくかも(って、そんなドラマ知ってる人って相当なお歳のはず。。。)
で、この中流家庭、ご主人は大学教授、奥さんは他界していて子供たちは大学生と高校生の娘二人、それと小学生で10歳の男の子。
この子の名前はTom。初めて行ったアメリカで、最初に発音で苦労したのが、このTomという単純な名前。トムとジェリーのトム、と発音しても全然通じない。何十回も練習させられた結果、彼から「Good!」と合格点をもらった。相手が小学生の子供だと、まったく遠慮なく発音やアクセントの不具合を指摘してくれるので、とても良い英会話の先生だったのを記憶している。
この家に大きなベージュの薄汚れたステーションワゴンがあった。工場長のワゴンよりもっと古いGM系、そしてもっとサビていてくたびれていた。雪深いWisconsinでは当時冬には滑り止めの塩を道路に撒いていたのでサビも尋常ではない。
車種などはほとんど覚えていないが、とにかくその大きさは覚えてる。
コロちゃんを眺めていて、これを思い出したのだ。
この車、何回か運転したことがあった。それもこのTomが外出したいときの運転手役として。
Tomには近所の小学生や高校生の仲間がいて、いつも夕方から夜にかけて家の前の通りでたむろして遊んでいた。ちなみにこの通りの名前は、Driftwood通り。
とある夕方、その出来事はおこった。
当時、アメリカにはまだドライブインムービーシアターなるものが残っていた。大きな大きな空き地にこれまた巨大なスクリーンを立てて、そこに映った映像を観る映画館というか屋外映画広場のようなものが全米の町にあった。もちろん、自分の乗り付けたクルマに乗ったままポップコーンやコーラを片手にフロントグラス越しに映画を鑑賞するわけだ。
音声は、各々の駐車スペースの脇に立っているポールについているスピーカーをクルマの窓に引っ掛けて室内に音を入れる仕組みになっている。同じ敷地内にこのスクリーンが大抵4枚は設置してあり、同時に4つの映画を上映していた。下の写真はスピーカー、いろんな形があったけど、まあこんな感じ。
で、このドライブインシアター、一台いくらでの入場ではなく、一人いくらでチャージされる。
なので、一台のクルマに3人乗っていれば三人分の料金を払うわけだ。
普通はそうなのだが、この日のDrifrwoodのちびっこたちはKSKの運転する車の助手席に高校生の男の子一人を座らせ、残りの4人は全て後部座席下の床とその後ろの荷物スペースに毛布にくるまって隠れてしまおうというもの。家の前で準備をして、さあ出発。シアターにつくまで、子供たちは大興奮。うまく隠しとおせるか、ばれてしまうか、そんなことをみんなでギャーギャー大笑いしながらの道中、うるさくてしょうがない。
10分ほどでシアターに到着。あたりは薄暗くなってきているので、ゲートのおじさんも車内の後部までよく見えていない様子。後部はシーンとしている、助手席の子が「Two」とかなんとか緊張した顔つきで伝え、二人分の料金を支払う。
難なくゲートを通り抜けたとたん、後部のちびっこたちは、毛布をはねのけまた大騒ぎ。
映画の内容は全く覚えていないが、このアメリカ人のちびっこたちの喜びようはよく覚えている。
1人1ドルくらいの金額だったと思うけど、そんな些細なことがとても嬉しいのがなんともかわいい。
彼らの悪だくみに一役かったKSK, いまではいい思い出でもあります。
ちなみに映画のあとは、深夜のアイスクリーム。アメリカ人はとにかくパフェのようなアイスクリームを夜の夜中に平気で食べる。しかもものすごいボリュームのものを。
あの子たち、今では立派なオッサンなんだろうなあ。。。。
KSK